MISSION



「正村氏」との出会いが、すべての始まりでした。


■代表/大山 博志より
1948年。創業者の大山陽治が立ち寄った市場で、ある人物と出会ったことをキッカケに琥珀グループは誕生しました。近代パチンコの源流となる「正村ゲージ」を開発した正村氏です。当時でもパチンコ台は存在しましたが、正村ゲージは釘の並び方や風車を導入したのが特徴で、大山は画期的な構造に魅了され、仕組みや構造を学び、自ら製作までして商売を始めました。そうして1949年に小さな小さなパチンコ店をオープン。当時は戦後間もなく、娯楽も少ない時代。戦後復興の波と共に商売は軌道に乗り、店は大繁盛しました。これが、琥珀グループの原点であり、すべての始まりです。






事業の多角化は、場所を活かす発想から。


商売が軌道に乗ってきた1950年、小さなパチンコ店をバラック式の木造平屋から全国初の鉄筋コンクリート3階建てへとリニューアルしました。そうして誕生したのが現KOHAKU堀田店の前身、『パチンコマツヤ堀田店』です。当時、鉄筋づくりの建物は珍しかったことから、集客を見込める要素のひとつ。平屋から3階建てになったことで、場所の余裕もあります。そこで「パチンコ以外に何か商売ができないだろうか」と考えたところ、スマートボール場を2階へ併設したそうです。ピンボールの原点で、パチンコの類似機とされている遊技機です。今思えば、これが事業多角化のキッカケだったのでしょう。根底にあったのは、“場所をどう活かすか”という考え方です。
名古屋駅にある自社ビルも同様です。「名古屋駅前の喫茶店を経営してみないか」という知人からの誘いに端を発し、自社ビルを購入。複数フロアを活かすため、パチンコ、喫茶店、ディスコ、麻雀など、数えきれないほどの商売に着手しました。ZenZeroも、東名ボールも同様です。場所を活かすことで、商売をビジネスに昇華させ、今の琥珀グループがあります。






変わりゆく時代。だからこそ楽しもう。


■人事部部長/大山 紘由より
日本の娯楽ビジネスは今、大きな転換期を迎えています。人口減少・高齢化・価値観の多様化が進み、当社の主力事業であるパチンコ・カラオケ・麻雀なども、日に日に競争は激しくなっています。しかし当社には、競合に負けない大きな強みがあります。”既存施設すべてが自社物件である”という事実です。名駅すぐの一等地にある自社ビルを始め、熱田区神宮前のイタリアンレストラン・ZenZero、瀬戸市のボウリング場・東名ボール、名古屋市・春日井市に展開するパチンコ店・KOHAKUの全店など、すべてが自社物件です。先述した以外にも、ピザ屋、カフェ、ファーストフードなど、数えきれないビジネスを展開してきましたが、自由に形を変えてこられたのは自社物件だからこそ。これからの時代は変化の時代。一筋縄にはいかないかもしれません。しかし、私たちは事業をいつでも変化させることができます。